雑感及び7/16京都ライブのお知らせ
何年前か忘れてしまったのだけど、佐野元春さんがホストをつとめるテレビ番組に矢野顕子さんがゲストで出たときのとある発言が未だに印象に残っている。
彼女は自分のオリジナルの他に、カバー曲もたくさんあるのだけどそのカバー曲の大半が、いやほぼ全曲が男性の歌う曲なのだ。
それはなぜなんだろう?なぜ女性の歌う曲はカバーしたいと思わないのか?と彼女なりに考えて、気づいたことがあったらしい
「女性の曲は剥いても剥いても、自分しか出てこない」
からなのだそうだ。
それが良いとか悪いとかいう話題ではなく
わたしもその話を聞いて確かにそうだな、と思った。
そしてわたしの作る曲もそうだ。
たまに自分の曲を歌っていてその矢野顕子さんの話が頭にうかんで、わたしはまさに自己愛とか自己憐憫とか自己顕示欲とか承認欲求のカタマリの歌を歌っているんじゃないか?そうだったらほんとにわたし気持ち悪いなぁとか不安になって、アタマのモードがそっちへ入っていってしまうと、何が何だかよく分からなくなるのでなるだけ考えすぎないようにしている。
いつかライブのMCで話したことがあるのだけど、
子供の頃から今までわたしは、むちゃくちゃ楽しくて幸せなことももちろんたくさんあった。勉強もスポーツも仕事も、大きな成果には至らなかったけど、それなりに頑張ったので悔いはない。恋愛もするし、人付き合いはとにかく素直が1番と思っている。
でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけなのだけど、たまーに、自分の発言や行動や主張が周りのクラスメイトだったり、社会人になってからはいわゆる社会的規範から、ちょっとズレてるなーと思いながら、ちょっとした違和感を感じながら、そして先ほどから再三繰り返している表現「ちょっとした」というのが曲者で、それが故にちょっとだけではない寂しい思いをしたこともあって、
そうしてそのズレや違和感を解消したくて、自分を変えたくて、試行錯誤を繰り返して今まで生きてきた。
わたしの作った曲はだいたい1人称が「わたし」であるけれども、どうしても聞いて貰いたい「主張」があって
それが聴いてくださるみなさんの心に届けばいいなあと
「へー、そんな考え方もあるんやな」とか
「まあ ズレなんてーのは 誰にでもあるこってすな」
とか 自由に 何か感じてもらって
それによってみなさんの何かがちょっと変わればいいなあと思ってます。というのがわたしの音楽をやっている意義。
などと つれづれと書いてきたこの文章も 自己愛と 自己憐憫と 自己顕示欲と 承認欲求のカタマリみたいな文章でないことをいのる。(正直 分からなくなっている。笑)
次のライブは連休そして祇園祭のさなかの暑い京都です。
7/16 西木屋町 わからん屋
(↓Googleの地図)
https://www.google.co.jp/maps/@35.0109368,135.7700593,17z
出演
藤川真里 (大阪)
小松哲也
ミカコハサウェイ
スタート19時半 チャージ前売り1000円
共演者のお二人とも 関西を代表する ミュージシャンさんで 憧れです。
激しく おすすめする ライブです。
わたしも愛を歌ってまわっています。
愛って何なのか実はよくわからないけどね。
講釈垂れていないで練習します〜